アメリカの病院:看護師 ホイットニーの場合

半年以上前のことになる。地元オークランドにある病院に入院した。

理由は約2年前に乳がんによる乳房再建手術をしたところの感染症。それはもう痛いし熱で苦しいしで、対処してもらうまでは辛くて仕方なかった。救急病院に駆け込み、そのまま入院することになったのだが、アメリカで入院するのは初めての経験。色々ある不安のひとつは、アメリカの看護師さんだった。

東京で入院したときは、天使のように優しい日本の看護師さんのきめ細かい介護に満足する一方で、同じ時期にニューヨークで入院していた友人から看護師さんの対応の酷さを聞いていた。ナースコールは無視されまくりで、ナーススケーションに這うように行って必要な物をお願いしたら、それを投げられて。もちろん全員がそうではないのだが、病気で弱っている時には遭遇したくない扱い。

そんな扱いを受けたらブログに書いてやるぅと思っていたが、どうやらここでは杞憂だったようだ。入れ替わり立ち代わり色々な人が対応してくれたが、みんな一様に親切だった。ただしサービスに対する調査ヒアリングが、1日2回、多い時で3回来たのが気になった。もしかして以前悪評がついて、調査中なのかもしれない・・・。

アメリカに住んでいるとサービスの質は人によって大差があるということに気づく。いい人はものすごくいい人で、ひどい人は信じられないくらいひどい。入院中のナースは日替わりで違う人がくるので、特にその差がよくわかる。 

その中で心に残っているのは ホイットニー(仮名)。何をお願いしたかは忘れてしまったが、その時病室にいた人に私のお願いを院内の電話でその日の担当看護師だったホイットニーに伝えてもらった。するとスピーカー越しに「オーケー」と言った後にため息が漏れるのが聞こえてしまった。ああ、面倒くさいのね。怖いなあ。そして病室に現れたホイットニーは割と筋肉質な白人女性。なんか笑顔だけど目が笑ってないような。ちゃんと対応してくれるのか不安が募った。

ところが、なぜかその日に限って色々なことがあった。手術をすることが決まって、そのやりとりで医師とうまくコミュニケーションが取れずに文句があってホイットニーに訴えたら親身になって聞いてくれた。ようやくその医師が来て、ズレたことを言ったときにはビシッと訂正してくれた。その後も会話を交わすうちに徐々に和んできて、ついに最初の不信感が全て帳消しな気持ちになったのは、ベットからスライダーに移る時、患部が痛くて思わず伸ばした手をしっかり支えてくれた瞬間だった。なんだか怖そうだったけど、いざというときには頼れる母ちゃんというか、すごい安心感があって術前はこの人でよかったと思った。

人間て、言葉だけではない、その人の内側から滲み出てしまう魅力があるんだなと、なんだか忘れらない人になってしまった。

 

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病院の食事。結構がっつり。でも色々選べます