他人と関わるブルックリンの人たち

オークランドに住み始めて1年8カ月になる。この街に住めば住むほど、かつて住んでいたニューヨークのブルックリンを思い出す。2つの街に共通していると感じることは色々あるが、いつもブルックリンを思い出すたび、必ず頭に浮かぶエピソードがある。

それはそこに住む「人」の話。

もう10年近く前の話だ。ブルックリンの「クリントン・ヒル」というところにアパートを借りて住んでいた。今では家賃が高騰しているそうだが、その頃はまだ良心的な価格だった。緑豊かで静かな住宅地で、近くにプラット・インスティテュートという美術大学があってアート系の学生も多く、ところどころにおしゃれなカフェもあって気に入っていた。その一角にある一軒家の部屋のひとつを借りて、当時お付き合いしていた彼と住み始めていたのだ。

ところが住み始めてすぐに、この彼とはうまくいかなくなってゆき、1日おきに激しい喧嘩を繰り返すような日々になっていた。ある日の夜、その喧嘩は家の近くの通りを2人で歩いていた時に始まった。喧嘩の理由や外を歩いていた理由(大体が大したことではない)はもう忘れてしまったが、彼が怒りのあまり私のことを小突いてきたため、道の植え込みを背に立っていた私は、植え込みの方へよろけた。私にとってはいつもの喧嘩だったのだが(慣れて麻痺してしまっていたのかもしれない)、「男が女を脅している図」はやはり尋常じゃない雰囲気だったと思われる。

その時だった。突然近くを歩いていた若い(20歳くらい?)白人女性が駆け寄ってきて、彼を突きのけて「何やってんのよお! あっちに警察の友人がいるから知らせるわよ!」と激しく抗議してきたのだった。「何もしてないよ」と慌てる彼。するとその騒ぎを見て一人の黒人女性が駐車していた車から出てきた。「別件でここで張り込みしてたんだけど、仕方ないから出てきたわ。これを事件として進める?」どうやら私服の警察官だったらしい。私はといえば、反射的に「いえ、私は大丈夫です」と答えていた。そうこうしているうちに若い白人女性は去ってしまっていた。

彼女にお礼を言えなかったのが残念だった。とともに、彼女の勇気に驚いた。ここはアメリカ。もしかしたら相手が銃を持っているかもしれないし、いざこざに巻き込まれてしまう可能性だって大いにある。正直、日本ではこうはならなかっただろうなと思わずにはいられない。街なかで転ぶと、3人くらいが「大丈夫?」と駆け寄ってくるニューヨークと、「恥ずかしいだろうからほっといてあげよう」と素通りしていく東京。やはり私は、転ぶ立場なら前者の方がありがたいし、転んだ人を見たら声をかけたい。道で転ぶだけならどっちでもいいかもしれないが、自分の身に危険が及ぶ場合はどうか。日本人が冷たい人種だとは思わないし、助け合いの心も持っていると思う。でも、普段から「素通り」に慣れていると、とっさの行動に出られないのではないかと思う。考えすぎて結局何もしないというか、思慮深いがゆえに二の足を踏んでしまいそうだ。

犯罪やホームレスが後をたたないが、いや、だからこそなのか。この街の、この国のこんな他人との関わり方は、自分が一人ではないという安心感を与えてくれるのは確かだ。

 

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