コロナ禍でのハロウィン
大統領選にすっかり埋もれてしまいましたが・・・、
アメリカでは今年もハロウィンを楽しみました。今年は、コロナで規制がある中で、それぞれの楽しみ方を工夫して見つけた日になったようです。
10月31日、満月のハロウィンとなった夜、家の近く(カリフォルニア州オークランド)を散歩してみました。
住宅地を歩くと、あちこちからホームパティーを楽しんでいるような声が聴こえて来ます。毎年見るような派手なコスチュームに身を包む人々と何度もすれ違い、みな足早にどこかの家に向かっている様子です。皆少人数でも集まって楽しみたいんですね。どこかで花火も上がっていました。
店のある通りに出ると、スポーツバーも、屋外に椅子やテーブルを出し、仮装した常連客で賑わっています。
湖沿いの公園に行くと、DJを呼んでひたすら踊る若者たちの群に遭遇。人が密集していて、さずがにコロナが怖いので早々に退散しました。
少し歩くと、バスケットボールコートで、仮装してローラースケートを楽しむグループも発見。ゴールのリングが取り外されて、バスケットができなくなると、しだいにここにスケーターたちが集まるようになっていました。今日はハロウィンのパーティーも兼ねているようでした。
今年は特に、小さい子供を持つ親たちにとっては悩みのタネだったと思います。キャンディをもらいながら歩く「トリック or トリート」ができない中、子供たちをがっかりさせないためにはどうしたらよいのだろうと。
そんな中、小さな広場にスクリーンを貼って映画を上映している人たちがいました。仮装した家族が芝生に座って、ソーシャル・ディスタンスも保ちつつ、ハロウィンのアニメを和やかに鑑賞しています。子供達のために、少しでも楽しめる企画を、と思う親達の気持ちが見て取れて、ここのコミュニティも捨てたもんじゃないな、と感じました。
また、その広場近くの邸宅ではデコレーションに光の映像を駆使している家庭もあり、デコレーションも進化しているのかなと感じました。
ロサンゼルスではオレンジ色の光とファブリック、扇風機を使ってハイパーリアルな炎を作り、煙や臭いまで演出し、近所の人が消防車を呼んでしまったという家もあったそうです。
そのほか、
バーチャルで仮装コンテストをしたり、
かぼちゃの馬車(?)のようなハロウィンデコをした乗り物が走っていたり。
お店では、例年通り店員さんがコスチュームで迎えてくれてました。子どもたちにはキャンディーを配っています。
今年は、大人も、子供も、いつもと違う状況に知恵を絞って、「それぞれのハロウィン」を楽しんだ模様です。「親は心配してたけど、結果、子供は大満足でした!」という声を多く聞きました。来年コロナが終息しても、このときに生まれたアイデアは残って行くかもしれませんね。
大統領選まであと2日
大統領選まであと2日。
街を歩いても、家でネットをしていても、その盛り上がりは嫌というほど感じてしまいます。
裁判所前に設置された登録センター
オークランドはとにかく良くも悪くも「黙っていない」街。「BLACK LIVES MATTER」運動が始まった時は、真っ先にプロテストが行われ、暴動も起き、トランプ大統領に「混沌とした市」と名指しで批判されています。コロナ禍で失業者が溢れた時には、政府や大家に家賃の支払いを免除するよう訴える「レント・ストライク」運動が起きました。落書きは、堂々とアートとして君臨しているし、外を歩けば毎週変わる、道に書かれたメッセージと出会えます。
ともかく「こんなに主張する街って日本にあるだろうか」と思わずにはいられない、いつも誰かが何かを主張し、何かあればすぐさま立ち上がり、メッセージを送り続けています。
それは選挙直前も例外ではありません。街がそれぞれの発言の場となります。多人種・リベラルな街なので、トランプ氏に反するサインはあっても支持するサインは見当たりません。バイデン氏支持のサインは少しだけ見かけます。それよりも「VOTE」 と、投票を訴えるものの方がが多いかもしれません。そのほか、投票は大統領候補を選ぶだけでなく、議員の選出、州の条例の可否も含まれています。例えばカリフォルニア州では、UberやLyftの運転手を従業員ではなく独立請負業者とする法案「プロボジション 22」の可否が議論を読んでいて、これも住民投票により決まります。そういった地元議員の名や法令の可否を訴えるサインも数多く見かけます。とにかくどこを歩いても、ここ数週間は選挙に関する何かを目にしない日はありません。
投票を促す、道端に描かれたアート
「Black Live Matter」と「VOTE」をひっかけた看板をかかげる人も
街だけでなくTVCMやSNSでの広告も飽きるほど目にします。候補者の討論会の後には評論番組が溢れ、土曜深夜の人気長寿コメディ番組「サタデー・ナイト・ライブ」では、アッレクス・ボールドウィン扮するトランプ氏とジム・キャリー扮するバイデン氏が面白おかしくパロディーを繰り広げます。
投票用紙が入った封筒
歌手のカニエ・ウエストさんも副大統領候補として名を連ねています。
老若男女、人種も職業も貧富の差も超えて、色々な人があちこちで話題にし、ほとんどの人が選挙を自分事として捉えています。そこはどうしても日本との大きな差を感じます。市民が大統領を決める投票権を持つという根本的なシステムの違い、メディアの取り上げ方の違い、文化の違い、理由はいろいろあると思いますが、「自分のリーダーは自分で選ぶ」「違う意見を遠慮なく戦わせ、同時にお互いに違いを認めて尊重する」という環境に、子供の頃からどっぷり浸かるアメリカはやはりリーダーシップを育てる国なのだなと思います。
幸運を呼ぶ技術を身につける
少し前、コロナもない時の話。
駅に向かうバスの中で、スマホでメールを読んでいたら、隣の人に話しかけられた。日本語の字づらが並んでいるのをみて、「ねえ、どうなってるの?このひとつひとつの文字がワード(単語)なの?スペースがないけど」と。
スペース?あぁ、たしかに、英語の文章は、ひとつひとつの単語の後に半角スペースがはいるから、どこからどこまでがひとつの単語かというのがわかる。でも日本語はそれがないから、どうやって判断するかというと、言葉の意味とか、漢字とひらがなの組み合わせとかから判断する。英語はアルファベットだけで成り立っているからスペースが必要だけど、日本語の文は漢字やカタカナがあるからスペースがいらないんだな、と気付く。
とっさに説明するのは難しい。ここまでが単語で、この文字が前後の単語を意味を持ってつなげる助詞、と説明したかったが、助詞という英単語が思い浮かばず、asとかisとか(あ、それは前置詞と動詞だな)と似たような役割がある説明しようとしたところで、駅に着いてしまい、その人も降りるので、that’s all right. It is fascinating! Thanks. と言われたので、You’re welcome. Thank you for asking というのが精一杯だった。
アフリカ系の、小ぎれいで、明るく小柄で可愛らしい感じのいい印象だった。ので、全く警戒心なく話すことができた。
好奇心をもって話しかける。おぉっと思ったら話しかける感じが、いいなと思った。この国の人たちは、いつも自然に話しかける。気軽に話しかけたりできることは、運を良くする技術だという話を聞いたことがある。
日本だと、変な人だと思われそうでなかなかできないけど、アメリカでは、むしろ聞きたいのに聞かないほうが変な人かもしれない。
そんな「幸運を呼ぶ技術」が、自分にも少しは身についているかな?と思う。
オークランドでの#Juneteeth
金曜に#Juneteethを迎えたオークランド。
奴隷解放宣言を記念する日だそう。
その日は仕事やら勉強やらで忙しく、ずっと家にいたけれど、1日中「すごい音」だった。
・ここ数週間、毎週末にはずっと聞こえているヘリコプターの音
プロテストが活発に行われているので
・デモを応援する車のクラクションの音
キャラバンは歩き、車、自転車、オートバイとさまざまな乗り物で行われている
・そして夕方あたりからずっと鳴り止まなかったのは花火を打ち上げる音
すぐ近くの道路で誰かが勝手に上げていたりするので、音がすさまじく、爆発音がするたび、びくびく。
思わず戦争中ってこんな感じかしら、と想像してしまう。。
挙げ句の果てに、どこかの電線をヒットしたのか、つかの間近所一帯が停電に。
バルコニーに出たら、真っ暗でした。。
停電は1時間ほどで終わるも、花火の音は夜中3時過ぎまで続いていて
眠れなかった・・・
そんな、家で過ごす静かな騒々しい金曜日でした。
翌朝ニュースを見たら
デモ隊がオークランド港を閉鎖してたそうです。
https://www.sfgate.com/news/slideshow/Oakland-Juneteenth-Protest-204147.php
たくさんの人が立ち上がっている。
民衆が声を上げることで、ひどい差別が無くなってくれるといいと願う。
50歳。米国公認会計士の資格に挑戦します
こんにちは。らっきょです。
1年に1回の更新となっていたブログ(汗)
こりずに、また再開してます。
3カ月位前から、米国公認会計士の取得を目指して勉強を始めています。
はい。今ごろ、「50の手習い」ってやつです。
会計関係のバックグラウンドはほぼ皆無。しかも「数字は苦手」と逃げ続けていた私。タックスリターン(アメリカの確定申告みたいなもの)を、結婚して(夫婦合算で)夫任せで自分でやらずによくなった時は小躍りしてしまったぐらい、「数字は自分と縁遠いもの」と思っていました。
それなのに、何故いきなり、よりにもよって米国公認会計士???
しかもこの年齢で? 今さら?
きっかけは、意外なお仕事
きっかけは、とある出版社でパートタイムの経理のお仕事をオファーされたことでした。業務のほんの一部、誰でもできる作業だから、ということで、やってみることにしました。「経理なんて苦手だし、単純な入力作業も多いだろうだから、すぐ嫌になるかもしれないな」と思いつつ。
しかし、始めてみると、あら不思議。。。全然嫌じゃない!
むしろ、なんだか楽しい。
やることは、大量に発生する発注をデータ入力し、請求書を出して、時期が来たら入金の手続きをして領収書を発行する。という、単純といえば単純な作業です。20代のときにこれをやっていたら、すぐに投げ出していたかもしれません。
でも、40代後半のらっきょには、こう見えたのです。
契約書:同僚の営業スタッフたちが駆け回って手にした、汗と涙の結晶
請求書・領収書:サービスに同意してお金を払ってくれるお客様への感謝状
らっきょはかつて同業で営業をしていたことがありました。だから、ひとつの契約を持ってくることがどれだけ大変か、も体感していました。契約書や請求書・領収書は「ただの紙」には見えなくて、その背景にあるお客様と営業スタッフの会話とかをいちいち想像してしまうのでした。
だから、その作業は、私にとってつまらない単純作業ではなかった。
ひとつのビジネスの流れを見て、何がおきているか確認していく、ちょっとワクワクした作業でした。
当たり前のことかもしれないのですが、らっきょにとってはこれが「気づかなかった自分の発見」となりました。
あと、細かい作業が結構好きなので、向いてるかも?と思う自分がいました。
こうなると、新しく発見した「自分」をもう少し伸ばしてみたくなりました。
経理に関する体系的な知識を得てみたい。できればそれを今後強みとして生かしたい。
こんな気持ちがムクムクわいて、しばらくしてもその気持ちは萎みませんでした。ここからは「こんな年齢から本当にできるのか」「苦労して資格を得るほどの価値はあるのか」「資格を自分の人生にどう生かしたいのか」を考えて、人に相談したりしました。
(今からでも)勉強して資格をとるメリットとは
・会計の知識を持って世の中をみたら、今とは違う社会・経済の仕組みが見えてくるはず ニュースをもっと深読みできる。見る世界が変わる!
・ライターとして「専門性」という強みを得られる
収入アップにつなげる!
・自分のお金に対する苦手意識を解消できるかもしれない
経済的自立を目指したい!
後押しとなった母の言葉
日本と比べて年齢を気にしない文化のアメリカにいるらっきょですが、50歳一歩手前の自分の能力に対する不安はありました。
忘れっぽくなったと自覚する日々、新しい勉強は考えているよりもずっと大変で、始めてすぐに挫折するのでは・・・という気持ち。「何歳からでも遅くない!」とはよく言われますが、実際はやっぱりとんでもなく大変なのでは・・・。
結局背中を押してくれたのは母の言葉(と経験)でした。
「車の免許も、お花の免許も、株の勉強も、始めたのはすべて50歳からよ」と答えた母。思い起こしてみれば、母の子育てがひと段落したのは50歳。そこから趣味で華道を始め、無理なく楽しんでいる様子でした。そして10年経ったある日、師範の免除を示す看板を持って帰ってきた時は、驚いたものです。「継続は力なり」だ、と感心してしまいました。頑張ってるという様子ではなく、ゆるく楽しんでいるという雰囲気だったのですが。そういえば車の免許の、株の勉強も50代で始めていたっけ。
自分がすっかりその頃の母の年齢に追いついていることにもビビりますが。
ということで、ともかく始めることにしました。
そしてやっぱり、簡単ではないことを実感している毎日ですっ(苦笑)
I Love Oakland
コロナに続き、#Black Lives Matterのデモで騒然としているアメリカ。この数週間、オークランドという土地柄を肌で感じることができた。
デモに便乗した暴動は怖かったけれど、
ダウンタウンでは(割られたガラスの保護などのため)貼られた板の上から、グラフィティアートが展開していた。
怒りのエネルギーを強いメッセージにして、デモで訴える行動力や
メッセージをアートで表現するところは
オークランドらしいところであり、アメリカの好きなところでもある。
平和的デモはずっと続いていて
車や歩きのほか、自転車での行進もあり、人々のエネルギーを感じてしまう。
デモの背景になった事件や、根深い人種差別については哀しい、悔しい限りだけれど、
何かについて「黙っていない」、こういう彼らの行動を見ると、心がじんわり熱くなる。
アメリカの病院:看護師 ホイットニーの場合
半年以上前のことになる。地元オークランドにある病院に入院した。
理由は約2年前に乳がんによる乳房再建手術をしたところの感染症。それはもう痛いし熱で苦しいしで、対処してもらうまでは辛くて仕方なかった。救急病院に駆け込み、そのまま入院することになったのだが、アメリカで入院するのは初めての経験。色々ある不安のひとつは、アメリカの看護師さんだった。
東京で入院したときは、天使のように優しい日本の看護師さんのきめ細かい介護に満足する一方で、同じ時期にニューヨークで入院していた友人から看護師さんの対応の酷さを聞いていた。ナースコールは無視されまくりで、ナーススケーションに這うように行って必要な物をお願いしたら、それを投げられて。もちろん全員がそうではないのだが、病気で弱っている時には遭遇したくない扱い。
そんな扱いを受けたらブログに書いてやるぅと思っていたが、どうやらここでは杞憂だったようだ。入れ替わり立ち代わり色々な人が対応してくれたが、みんな一様に親切だった。ただしサービスに対する調査ヒアリングが、1日2回、多い時で3回来たのが気になった。もしかして以前悪評がついて、調査中なのかもしれない・・・。
アメリカに住んでいるとサービスの質は人によって大差があるということに気づく。いい人はものすごくいい人で、ひどい人は信じられないくらいひどい。入院中のナースは日替わりで違う人がくるので、特にその差がよくわかる。
その中で心に残っているのは ホイットニー(仮名)。何をお願いしたかは忘れてしまったが、その時病室にいた人に私のお願いを院内の電話でその日の担当看護師だったホイットニーに伝えてもらった。するとスピーカー越しに「オーケー」と言った後にため息が漏れるのが聞こえてしまった。ああ、面倒くさいのね。怖いなあ。そして病室に現れたホイットニーは割と筋肉質な白人女性。なんか笑顔だけど目が笑ってないような。ちゃんと対応してくれるのか不安が募った。
ところが、なぜかその日に限って色々なことがあった。手術をすることが決まって、そのやりとりで医師とうまくコミュニケーションが取れずに文句があってホイットニーに訴えたら親身になって聞いてくれた。ようやくその医師が来て、ズレたことを言ったときにはビシッと訂正してくれた。その後も会話を交わすうちに徐々に和んできて、ついに最初の不信感が全て帳消しな気持ちになったのは、ベットからスライダーに移る時、患部が痛くて思わず伸ばした手をしっかり支えてくれた瞬間だった。なんだか怖そうだったけど、いざというときには頼れる母ちゃんというか、すごい安心感があって術前はこの人でよかったと思った。
人間て、言葉だけではない、その人の内側から滲み出てしまう魅力があるんだなと、なんだか忘れらない人になってしまった。